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久々の更新。

ここ数年ずっと入れあげていたtwitter熱が最近ようやく冷めてきた。一時期は、それこそ噛り付くようにTLを追い続けていて、ネット民やFF関係の人の話題・トレンドを把握するのに必死だったし、それらを知っていることがある種の誇りでもあった。トレンドというよりネットミームといった方が正確かもしれない。今思えば全く主体性のない行為だったように思われる。

このtwitter熱が冷めてきたのには、切っ掛けと原因がある。

第一に、リアル関係の人をフォローしすぎて(されすぎて)いてネットで気軽に鬱憤を晴らせない・閉塞感を感じ始めたからというのがある。

インターネットは匿名であるべきか否かという議論は数十年続いている。2ch最盛期の時は匿名が主流であったが、最近は開かれたインターネットの仕方をしている人間が多いように思われる。FB、また、実名や所属団体をプロフィールに記入してtwitterをしている人らがそうだ。これは加減の問題でネットリテラシーという言葉で安易に解決した気になるつもりはないが、インターネットが身近になった結果というのは確かで、今更声高に言うことでもない。リアルに近い使い方をすればその分しがらみが重荷となって圧し掛かるわけであって、趣味的な使い方を志向する私にはそれが鬱陶しかった。

第二に、SNSに依存するあまり自分の時間を確保できなくなってきたからだ。

twitterを始めた当初はSNSを使っている実感があったが、ここ2,3年は明らかにSNSに使われていて、その害が徐々に私の精神を蝕んでいくのを肌に感じた。自分の興味があることに手を付けず、SNSの話題に乗っかるだけの衆愚になり果てたような気がして、まさにその通りだった。自分の欲することに着手せず自身を見失い、雛鳥のようにコンテンツという餌を待つだけの人間ほど空しい・醜い存在はない。今の私がそのようだ。この後遺症は現在進行形で、早急に治したい。

第三に、――これは第一、二の理由と関係するのだが――色々な分野で活躍する人間と何も持たざる自分とをSNSで比較して酷く気に病むからだ。それが身近な人であればあるほどなお一層落ち込む。

人が成長することは、全く喜ばしいことだ。しかし、私も共に成長できていなければ、その成長は鋭利な刃物のように心を抉る。私がSNSに現を抜かして立ち止まっている間に人は前を歩いている。私は一向に無能なままで、このままでは自己嫌悪の沼に頭から浸かって溺れてしまいそうだ。

 

完全に自分語りになってしまったのでここまでにしておく。とにかくSNSとの付き合い方を改めなければならない。そして、個として誇れる存在になりたい。

次回は最近読んだ本の紹介とかできたらいいなと思っています。

 

おわりです。

アンリ・ベルクソン 『思考と動き』

アンリ・ベルクソン。フランスの哲学者。19-20世紀。持続、イマージュの概念を提唱。

 

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哲学に一番欠けているのは正確さである。→現実の寸法に合っていない。大きすぎる体系のためすべての可能なもの・不可能なものすら含んでしまっている。結果として、科学的な説明、即ち増大する明証性を備えているとは言えない。

・哲学は現実に合致した説明を持たないという筆者の主張。

 

2,3

・スペンサーの哲学は増大する明証性を持っていると思ったけど持っていなかったよと、持ち上げて落としている。ベルクソンが時間の概念を考察するに至った経緯の説明。

あらゆる測定行為にも規約的な要素が入り込む。→2量が相互に直接比較されることはないが、ある側面・結果は比較可能。しかし、時間の場合、比較に背理を含んでいる。その背理とは、比較した持続の結果が本質的に持続しないことである。

・比較する際に、時間から本質・要素が抜け落ちて変性してしまっている。

時間の操作は、対象のある側面・結果に対してなされるのではなく、測定しようとするものを排除する何かに対してなされる。

時間の測定は、持続するものとしての時間(真の時間)に対してなされるのではなく、時間の潜在的な停止の数が数えられている。→意識にとって深刻な違いを生む。

・時間は金太郎飴のように持続している。しかし、測定においては飴を裁断してそれを比較してしまっている? 持続と連続を別の概念として明確に分けている印象。

・いまの科学では時間と意識とを正しく結んで明かすことが出来ないと筆者は主張している?

『論理的思考 最高の教科書』

福澤一𠮷署。書店にて買いました。常日頃から「私って論理的じゃないな~」と思っていたり、ネット界隈の論客の論理的文章力に憧れていたので論理力を磨く目的で購入。

内容的には大満足。図説したり例が適切だったりで初心者にも分かりやすく、論理的思考を養う上での基礎をこれで賄えるのではないかとも思います。

これは1週間前に読了。

・前提から結論を導き出す過程を導出と呼び、前提、導出、結論の全体を論証と呼びます。

・演繹的論証は、前提を真とすると必ず結論も真になる。

・イルカは哺乳類だ。じゃ、卵は生まないね。(中略)「哺乳類」という言葉に胎生であるということが含まれているので、当然卵は生まないことになります(例外としてカモノハシがいますが)。前提に結論が初めから含まれているからです。その意味で演繹的論証は真理保存的であると言われます。

帰納的論証の四タイプ(帰納法・投射・類比、類推・仮説形成)

帰納的論証は蓋然的である(結論が必然的に導かれるわけではない)、また、真理保存的ではない。

帰納的論証は、前提となる根拠に比べて結論で情報量が増える。

一般に議論や討論において飛躍が起こることはよくないとされています。(中略)しかし、、飛躍がまったくない論証をしても始まりません。例えば「今日は天気がいい。だから、晴天だ」「彼は独身だ。だから、結婚していない」という論証にはまったく飛躍がなく、(中略)帰納的論証が何らかの機能を果たすためには飛躍が必要です。

・根拠の理由となる仮定を論拠として、当書では根拠と区別している。

根拠自体には意味が内在しておらず、それに外から意味付けをするが論拠である。

・前件肯定、後件否定は正しい導出

帰納・演繹論証連続帯

 

・前件肯定の誤り、循環論法、多重尋問、誤ったジレンマ、滑りやすい坂論法、アドホックな仮説、4個概念の誤り

・確証バイアス、信念バイアス、生存者バイアス、羹懲りバイアス

 

 ……しかしこうして読んで学んだことも覚えていられたとしても、半年後にはすっかり忘れてしまったりするんですよね……。知識を自身の血肉として実用可能にするにはどうちたらいいのか知りたいです。

『クマのプーさんの哲学』

クマのプーさんの哲学』

 1996年初版。著者はジョン・T・ウィリアムズ。一年以内に第4版まで出版されているのでベストセラーと表現しても良さそう。読もうと思ったきっかけは哲学を体系的に俯瞰して広く浅く学べると思ったから、と、単に書名がユニークで心惹かれたからです。内容としてはギリシャ哲学から近代哲学までを『クマのプーさん』シリーズの物語に登場するプーやコブタなどのキャラクターを通して紹介しています。読了しましたが、あまり満足感はなかったです。というのも、この本にはプーがいかに素晴らしい哲学者であるかということのこじつけを含めたユーモアめいた解説が載っているからであり、そのため哲学入門者が知りたがっている体系についての内容は薄いからです。むしろ、哲学を少しかじっている人には面白おかしく読める内容でしょう。

 これを読んだのはちょうど三週間前だったにも関わらず、得た知見をいざ書き起こそうとしても内容を思い出せません。すんなり覚えられるのならばこの備忘録は必要ないわけでして。読んだらその日のうちに知見をまとめておくのが吉というのは間違いありません。

ソクラテス 『無知の知

アリストテレス 『排中律の原理』『四原因説』

ライプニッツ 『充足理由律』『矛盾律

・カント『人が世界を認識するのは空間・時間・因果関係だけ』『人が認識するもの(現象)と物自体(本体)』『定言命法(同時に普遍的法則となることを君が欲することができるような格率、そうした格率だけに従って行動せよ)』『アラスデーア・マッキンタイア「定言命法をためすのは論理的にむなしい」(西洋倫理思想史)』

ヘーゲル 精神哲学 『弁証法的観念論』『主観的精神・客観的精神・絶対的精神』『テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ

ニーチェ 『最高のものはすべて自己原因』「散歩によって得られた思想にのみ価値がある」「文化と国家は敵対する」

サルトル 『「地獄とは他人だ」(『出口なし』より)』『本物の欠如の例 現実からの逃避と個人的責任からの逃避』

 

シンセメモ

  • オシレータ→フィルタ→アンプフィルタ

フィルタ

  • amt エンベロープ変化量。
  • frq カットオフ周波数。
  • レゾナンス 遮蔽周波数付近の音を強調して音色を変える働きを持っており、原音に対して特定の倍音を強調したり、新たな倍音を付加。(角みたいなの)
  • サチュレータ 原音を歪ませて倍音を追加。(温かみ、すーぱーそうっぽさ)
  • trk(トラッキングカット) 高域ノートで高音が耳に痛いときに絞る。

 

  • LFO(Low Frequency Oscillator) 低周波の波形。音程や音色を変化。
  • EQ(イコライザ) 高中低音をカットしたりブーストしたり。頻繁に刺す。
  • アルペジエータ 分散和音(アルペジオ)を自動的に演奏する機能。

 

完全に自分用です……笑。気になった用語をまとめました。

久しぶりの更新と『よくわかる作曲の教科書』

 忙しくはなかったのですが、生来のめんどうくさがり屋な私が顔を出して更新が疎かになってしまいました。本当にものぐさです笑。

 おそらく、本を読み切らなければ備忘録を書かない、といったよくわからない意地が自分の中にあったからだと思います。しかし、忘れないうちに細やかな記憶、些細な気づきを記録として残しておきたいという思いもあり、書籍のページを手繰った日や忘れたくないことがあった日にはブログに残すべきだな、と考え直しました。使い古されてはいますが『継続は力なり』とはまさに真で小さな積み重ねが大事なのだなと思います。家事も毎日続けるから持続し平常が保たれるわけですから。

 というわけで、箇条書きでも何でもよいので”備忘録”として毎日を目標に書き連ねていきたいです。がんばります。 

 積んでいる本が山ほどありますがとりあえず。

 

 『よくわかる作曲の教科書』 

 以前から音楽・作曲に興味(音楽系同人即売会M3に足を運んだり笑)はありましたが、音楽経験は小学校でのリコーダーだけなので、ぜひ一度は勉強したいなあと思ったので買っちゃいました。

 概要はAmazonなり何なり見ればいいと思うので省略します。

 

 4章構成で1章は基礎知識の『き』と呼ぶべきほんの入り口です。

金管楽器は構造上♭が付くKeyの演奏が楽、ギターは構造上#が付くKeyの演奏が楽

・ベースとメロディが平行移動し、連続的に同じ音をとるのはよくない。

 

 2章冒頭はは軽くコード進行についての解説でした。

ハ長調ダイアトニックコード(C,Dm,Em,F,G,Am,Bm♭5)

・ドレミの歌の「ド~はドーナッツの『ド』~」の『ド』はミ、「レ~はレモンの『レ』~」の『レ』はファ

・スリーコード ハ長調Cはトニック(安定/起)、Fはサブドミナント(癒し/承)、Gはドミナント(緊張/転)

 

 今日はここまで。なんだか甘い物が飲みたい気分です。明日も更新できるといいなあ。

 

 

 

 

 

 

 

はじめまして。 and 『電柱と花束』

 初めまして。しらいと申します。

 特に実のある話をするつもりはなく、これは只々身勝手に備忘録と雑感を兼ねた駄文を纏めた物にするつもりです。

 では早速ですが、最近読んだ本の記録を。

 

 『電柱と花束』 

 東京大学創文会様の制作された短編集です。

 先日行われた五月祭に足を運んだ時に、水彩調の儚げな表紙に惹かれて購入しました。(ついでに東大文芸部様の『静寂35』も買いました)やはり日本一の大学だからでしょうか、来場者多くてただ人ごみに揉まれ流されなされるままでした。敷地が広大で歩き疲れて帰るときにはヘトヘトでした。裏千家表千家の茶会に参加しました。主菓子の金箔と三四郎池の水面に浮かぶ枯葉とを重ねて趣深さを感じたりしました。満足。香道と利き酒も体験したかったのですが、縁がなく断念。来年こそは体験したいです。

 ……話が逸れました。文集の話です。

 短編6本収録で60ページほど。気軽にパパパっと読めるのですが忙しくて1週間放置していました……。妙に気張って書評しているとブログを永久放置しそうになるので簡単に感想を書きます。ええ、簡単に。

 

 『食い違い』は男女交際について男性を戒める内容の教訓的小噺でしょうか。文中に動作表現を自然に織り交ぜていてとても読みやすいです。文体が無地なのもまたスムーズに目を走らせることが出来て良いと思いました。だから何。

 

 『その日』は6作の中で一番好みでした。ユニークな世界観とそれを読者に想像させるリアルな描写に引き込まれました。ネタバレになるので書きませんけれどもオチが味わい深いですね。

 

 『星雪花』は繊細な表現で幻想的な作品。特に印象的な文があったので引用させていただきますと

――君は白か、銀か。ずっと透き通ったところに住んでいたはずだった。夜に背を向けた月の精か、湖面に投じた星の精か。

 素敵ですね、私もこのような文章が書きたいものです。個人的な話ですが一抹の夢のように掴みどころがなくて気合い入れて読まないと内容を把握できないかなと思ったり。

 

 『マンションの一室』は『その日』と同じ作者の土也助様の作品。ユーモア溢れる物語でテンポが速い。主人公と女の掛け合いでニヤニヤしながら楽しく読ませていただきました。……それにしても土也助様の作品にブラックな要素が混じってるのは一体何なんですか、大好物です。

 

 

 書くのに疲れてきました。一時間掛けて千字ですから、我ながら己の遅筆が情けない。私はこの筆の遅さと一生付き合うことになるのでしょうか。やーですね。次。

 

 

 『ガンスレイヴ』は王道? ファンタジー。本冊子で一番分量がありました。冒頭の掴みが良くて抵抗なく世界観に浸れました。試験的な作品なのか、これから物語が始まるぞ! って所で終わってしまったので続きが気になります。

 

 『窓の向こうの景色』。ほんのりと寂しさが胸に去来するような優しい短編です。うひゃあ。オチが予想通りだったので、ラストで思わずニヤリとしたのは内緒。

 

 

 以上6本でした。最後の箇所は適当な記録となってしまいましたが別に詰まらなかったわけではなく単に書くのに疲れただけです。許してちょんまげ。

 

 

 こんな感じで気ままに記録し続けていきたいですね。